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<<   作成日時 : 2016/03/11 21:57   >>

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東日本大震災と後に名付けられたあの大地震から5年が過ぎた。
あの日も金曜日でオイラは、パソコンの前に坐っていて第一報はパソコンで見てテレビをつけて唖然とした。

あの日の報道は阪神淡路やアメリカの9.11以来の衝撃で・・・いやそれ以上の衝撃をメディアから受けたのは間違いないと思う。

テレビの画面を見ながら、「逃げて!」と叫んだ記憶があるし、あれから5年の間にもこの国にも或いは他国にも酷い厄災はあったけれど、あれほどリアルタイムで厄災をただ呆然と見た事は無いと思う。

あの日から暫くの間、この国のテレビは公共広告機関のACのCMが溢れ、本来の広告主はほぼ自粛となり、国民の間でも楽しい事や消費活動はちょっとなぁという雰囲気が蔓延した。

オイラもあの瞬間から暫くは確かにこれは浮かれたり、浮ついたりする場合じゃないと思った。


しかし、今思えばそれが正しかったのか?

あの時、東日本、特に東北地方が大変な事になったのは事実。


でも、それ以外の地域のみんなが自粛したり、俯いていれば、「金」はまわらない。
金は天下の回りものというのは篤志家やお大尽さんみたいな人も日銭稼ぎの職人も使える金は使って行く事で世の中の経済というのか、金が回る。

ひいてはそれが景気をあげて、金の循環になるとなると、それは結局のところ、あの震災からの復興になるのではないか?


今日も多くの報道機関やボランティアの人の活動が、あちらこちらにあり、それがSNSとかで拡散されている。

悪いことではない。

でも、それは、その活動は、「日常」なのだろうか?

特別な「日」だから行動するというのは正しいのだろうか?


忘れない為の免罪符・・。


そこまで言うと、あまりにも失礼なかもしれないが、「日」を決めてそうするよりも、「忘れない」けれど、「特別な事はしない」、「日常で出来る事をする」の方が大事なような気がするのだが、間違っているのだろうか?


例えばコンビニやスーパーには、新しい厄災が降りかかる度に募金箱が置かれる。
事が起きてから数週間から数ヶ月はある。

でも、それを過ぎると或いは新しい厄災が起きるとそれの募金に切り替わっている。
「私」はこれではなくて、「こっち」の復興に取り敢えず力を注ぎたいのでゴメンナサイという募金をする側の意志では無くて、募金をされる側というのか、受ける側(募集している企業)の意見でしか、支援出来ないそんな状況が普通にまかり通っているなぁと・・・。


ネットとかだと、選択出来ても市井の人が普通に募金とか支援出来る場ってそれを主催する人の都合に合わせるパターンがあまりにも多いかなと思う・・・。


勿論、これはこの地域でのオイラの主観なので実際には違うのかもしれないけれど・・・。

まぁ、ほぼ纏まっていないけれど、あの日から5年目を迎えて一回総括をしたかったオイラの個人的な記録です。



東日本大震災 復興が日本を変える-行政・企業・NPOの未来のかたち


闘う日本 東日本大震災1カ月の全記録


生態学が語る東日本大震災—自然界に何が起きたのか—



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