明石城築城400周年と孫文ゆかりの明石海峡大橋そばの舞子公園。

明石城築城400周年だそうだ。日本100名城のひとつで、明石駅前にある明石城は、元和5年(1619)に小笠原忠政によって築城された、徳川幕府による西の要の一つらしい。

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実は、明石市には縁者が複数いて、何度も立ち寄っているし、随分昔にはなるが長男長女がまだ小学生ぐらいの頃にキャンプがてらこの地に立ち寄って、魚の棚商店街で明石名物の玉子焼きと呼ばれる出汁で食べるたこ焼きを食べたりしているのに明石城は立ち寄った事がなかった。

今回は、連休の中日にカメラ片手に長男と二人日帰り撮影旅として行って来た。
2基の三重櫓「坤櫓」と「巽櫓」が有名というか現存する建造物で、坤櫓は京都・伏見城の櫓より移築と伝わり、天守代用としても使われたらしい。
一方の巽櫓は船上城の櫓が移築されたと伝わるが、寛永7年(1630)頃の火災で焼失し再建されたとのこと。
往時には中心部だけでも4基の三重櫓、6基の二重櫓、10基の平櫓があったとか。
天守閣は明治期に取り壊しではなくて、元々築かれていなかったらしい。

現在は、球場やテニスコートなどを含む明石駅前の運動公園となっているが、それ自体が旧明石城の縄張りの中というから恐ろしい広さだ。

伏見城からの移築という坤櫓。
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そして船上城から移築で再建された伝わる巽櫓。
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あちらこちらにある石垣。
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公園マップはこれ。
滅茶苦茶広い!
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この明石なんだが、城下町の区割りと場内にかつてあった庭は、岡山県とも縁があると言われている、あの剣豪、宮本武蔵が関わったという伝説もあるらしい。

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オイラの拙い知識で妙に気なるのが、この明石を西国の抑えてとして徳川家、江戸幕府が重要視していたこと。
明石以西には、姫路があり、湊も考えると赤穂もあるし、更に西なら今は何も無いが、日生や下津井があるし、交通の要所なら岡山城もあった。

しかし、ここ明石が重要拠点としたのは、やはり豊臣秀吉の事が脳裏にあったのではないか?
秀吉の中国大返しは、岡山が起点で、恐らく当時の城主が宇喜多家の岡山城が起点で、日生あたりが海運の起点。
そして現在の兵庫県姫路市は秀吉の支配下。
この歴史を見て、姫路を抑え、日生からだと赤穂を超えて次の大きな湊として明石。
ここをしっかりと抑えるのが徳川幕府の意図であったと想像している。

まぁそんなことを想像しながらミラーレス1眼レフを片手にウロウロするのが楽しいんだけどね。

さてさて、そんな思いを馳せながら明石城を堪能して向かったのは、明石駅を挟んですぐ南側に位置する、魚の棚商店街。
活気のあるアーケード商店街で、享保21年・元文元年(1736)〜元文6年・寛保元年(1741)には生ものを取扱う魚屋が56件、干物店が50件もあったらしい、由緒ある商店街だそうだ。

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商店街で肉屋を見つけたらコロッケを買ってほおばるという伝統行事を長男と行い、名物の玉子焼きを昼飯に食べてから、世界最長の吊り橋である明石海峡大橋を見学にいった。
渡って淡路島へは今回は行かない。

見るだけね(笑)

舞子公園に車を駐めて、見学。
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向こうに見えるのが淡路島。
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本四架橋公団のゆるキャラ?
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で、孫文。
中国の政治家・革命家で、初代中華民国臨時大総統。中国国民党総理。
孫中山先生というのが彼の国では一般的らしい。

孫文記念館(移情閣)というのが、舞子公園にあった。
孫文を顕彰する日本で唯一の施設で、1984(昭和59)年11月に開設されたらしい。

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中国との意外な縁がここにあった事にビックリした。

さて、この旅はまだ昼過ぎ。
この後、旅はまだ続く。

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