長崎龍馬伝紀行3
長崎龍馬伝紀行はまだ初日だというのに3回目を迎えてしまった。
話はまだグラバー園なのである。
園内をウロウロと散策する。
恐らく龍馬さんが出入りしたであろう建造物は旧グラバー邸である。
園内の一番上から順番に下りながらの散策だと一番最後の辺りである。
当時もこの位置にあったのだろうか?
これは国指定重要文化財の旧リンガー住宅で明治初期の建築。
そしてこれは旧スチイル記念学校で明治20年の建築。
これは旧オルト住宅で長崎に残る石造りの住宅でもっとも大きなモノだそうだ。
これらの住宅の中の展示物を眺めながら坂をゆっくりと下っていく。
ようやく辿り着いたのが1863年に建てられた旧グラバー住宅で、日本で最も古い木造西洋風建築だそうだ。
龍馬伝をはじめとして坂本龍馬絡みのドラマや映画でおなじみの建物である。
でっやっぱり長女は・・・・。
グラバー邸前での記念撮影である(笑)
グラバー邸の中には、キリンビールの前身でグラバーと岩崎家が設立に関わったジャパン・ブルワリ・カンパニーのモデルとなったとも云われる獅子が鎮座していた。
因みに麒麟の髭はグラバーさんの髭のカタチをモチーフにしたとか。
真偽は別として楽しいエピソードである。
そして龍馬さんも口にしたのであろうか?
当時の西洋料理の模型が並べられていた。日本が世界に誇る食品サンプルの蝋細工だ。
グラバー園と云えば、ハートストーン伝説。
ハート型の敷石が園内に二つあり、これに触れると恋がかなうとか、2つ見つけると良いことがあるとかというやつである。
ひとつは旧グラバー住宅の庭の方位盤の下にある。
もう一つの場所は実際に行ってのお楽しみであるが、これである。
ヒントとしては1より後にある訳で・・・・。
西洋料理発祥の自由亭も移築されてこの地にある。
元々は亀山社中からも近い、伊良林の神社前に幕末からあったそうだ。
龍馬さんも入った事があるのだろうか?
さて、およそ2時間ほど滞在したグラバー園も残すところは長崎伝統芸能館。
これがグラバー園の出口を兼ねていて、長崎の秋を彩る諏訪神社の秋の大祭「長崎くんち」の龍船、唐人船などが展示されている。
いわゆる山車というやつでオイラの住む倉敷では”御船”と呼ばれるスタイルの舟形の山車である。
370年にもわたる歴史ある大祭だそうで展示されている龍船、唐人船は圧巻であった。
グラバー園を出て大浦天主堂辺りまで土産物屋を冷やかしてカステラの試食などをしながら、坂を下る。
因みにこの後色々なところでカステラを物色したのだが、グラバー園を出てすぐにある小さなカステラ専門店のカステラが一番安かった。
自宅用に買うのであればそこのカステラをオススメする。
大浦天主堂の入館料は大人300円、中高生250円、小学生200円だそうだ。
大浦天主堂の正式名称は日本二十六聖殉教者天主堂で1597年日本で最初に殉教した日本26聖人たちに捧げられた教会だそうだ。そのため、大浦天主堂は殉教の地である西坂に向けて建てられている。
1865年におきた信徒発見も有名な史実だ。
大浦天主堂が1864年に建てられ、翌1865年2月から公開が始まった一ヶ月後に浦上の隠れキリシタン達が信仰告白したというもので隠れキリシタンの信仰の凄まじさが解る話だ。
因みに3月17日はカトリック教会の任意の祝日となっているらしい。
この辺りは右を向いても左を向いてもカステラである。
因みにカステラ一番電話は2番の文明堂の元である株式会社文明堂総本店では亀山社中がカステラ作りに興味を示し、そのレシピを残したカステラを再現して海援隊カステラとして販売している。
NHK大河ドラマ龍馬伝でもそのカステラ作りは放映された。
そのレシピがコレ。
そしてこの辺りには何とこんなものまである(笑)
さて、大浦天主堂から更に下って今度は観光通りというか長崎龍馬の道をのんびりと歩いて戻る事にする。
この長崎龍馬の道は大浦天主堂下の南山手町から亀山社中や上野彦馬邸跡がある新大工町辺りまでの道で距離は意外と短く全区間で3km程だ。
そのうちの半分に満たないというか3分の1程の距離を歩いて電停出島を目指す。
途中には旧長崎英国領事館がある。
上海の英国技師 ウィリアム・コーワンの設計で明治41年完成だそうだ。
旧長崎英国領事館を過ぎると有名なオランダ坂である。
そしてこの辺りから長崎駅方面へと向きを変えて、国道499号沿いに出るとなんとここに運上所跡があるではないか!
英国水兵殺害事件(イカルス号事件)の舞台となった場所だ。
慶応3年7月6日にイカルス号の乗組員のジョン・ホッチングとロバート・フォードの2人が、泥酔して丸山の路上に寝込んでいるところを、筑前藩士金子才吉に殺害された事件だが、嫌疑は土佐藩というか海援隊に懸かり、土佐商会の岩崎弥太郎と海援隊隊長の坂本龍馬が互いに奔走した事件でこの運上所にて龍馬さんは才谷梅太郎の変名で裁判に立ち会っている。
偶然にしては出来すぎのタイミングで発見してちょっと興奮してしまった。
この後、電停出島に辿り着き路面電車で長崎駅前に。
何でも昭和37年製の路面電車だそうで、随分と長い事現役で活躍中だ。
長崎独自のボディ形状だと車内に誇らしげに書いてあった。
今回宿泊したホテルは長崎にっしょう館。
修学旅行とかでも使う大型の観光ホテルである。
奇しくもグラバーさんやその息子倉場富三郎の眠る坂本国際墓地の更に山側に位置していて、夜景スポットとして有名な稲佐山の対岸の山にある。
なのでちょっと奮発して夜景の見える側のスリーペアルームを二部屋取った。
食事は朝と夜が2回ともバイキング。
基本的に内容は同じだが、バイキングなのでね。
燃費の悪い高校生を二人も抱えると下手に外で晩ご飯を食べたりすると大金が掛かるのでこの方が安くつく。
しかも微妙に長崎名物も出るし(笑)
グラバーさんに敬意を表してキリンラガービールで乾杯をしてバイキングに舌鼓を打ち、大浴場で1日の疲れを癒してホテルの部屋でヨメさんと明日のプランを練りながらウィスキーを飲んで・・・。
流石に長距離ドライブと普段あまり歩かないクセにウロウロと歩き回ったせいか、
あっという間に寝たであった。
夜景を見ながら語り合うなんていうロマンチックなプランもあったのに(笑)
またまた続く。
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話はまだグラバー園なのである。
園内をウロウロと散策する。
恐らく龍馬さんが出入りしたであろう建造物は旧グラバー邸である。
園内の一番上から順番に下りながらの散策だと一番最後の辺りである。
当時もこの位置にあったのだろうか?
これは国指定重要文化財の旧リンガー住宅で明治初期の建築。
そしてこれは旧スチイル記念学校で明治20年の建築。
これは旧オルト住宅で長崎に残る石造りの住宅でもっとも大きなモノだそうだ。
これらの住宅の中の展示物を眺めながら坂をゆっくりと下っていく。
ようやく辿り着いたのが1863年に建てられた旧グラバー住宅で、日本で最も古い木造西洋風建築だそうだ。
龍馬伝をはじめとして坂本龍馬絡みのドラマや映画でおなじみの建物である。
でっやっぱり長女は・・・・。
グラバー邸前での記念撮影である(笑)
グラバー邸の中には、キリンビールの前身でグラバーと岩崎家が設立に関わったジャパン・ブルワリ・カンパニーのモデルとなったとも云われる獅子が鎮座していた。
因みに麒麟の髭はグラバーさんの髭のカタチをモチーフにしたとか。
真偽は別として楽しいエピソードである。
そして龍馬さんも口にしたのであろうか?
当時の西洋料理の模型が並べられていた。日本が世界に誇る食品サンプルの蝋細工だ。
グラバー園と云えば、ハートストーン伝説。
ハート型の敷石が園内に二つあり、これに触れると恋がかなうとか、2つ見つけると良いことがあるとかというやつである。
ひとつは旧グラバー住宅の庭の方位盤の下にある。
もう一つの場所は実際に行ってのお楽しみであるが、これである。
ヒントとしては1より後にある訳で・・・・。
西洋料理発祥の自由亭も移築されてこの地にある。
元々は亀山社中からも近い、伊良林の神社前に幕末からあったそうだ。
龍馬さんも入った事があるのだろうか?
さて、およそ2時間ほど滞在したグラバー園も残すところは長崎伝統芸能館。
これがグラバー園の出口を兼ねていて、長崎の秋を彩る諏訪神社の秋の大祭「長崎くんち」の龍船、唐人船などが展示されている。
いわゆる山車というやつでオイラの住む倉敷では”御船”と呼ばれるスタイルの舟形の山車である。
370年にもわたる歴史ある大祭だそうで展示されている龍船、唐人船は圧巻であった。
グラバー園を出て大浦天主堂辺りまで土産物屋を冷やかしてカステラの試食などをしながら、坂を下る。
因みにこの後色々なところでカステラを物色したのだが、グラバー園を出てすぐにある小さなカステラ専門店のカステラが一番安かった。
自宅用に買うのであればそこのカステラをオススメする。
大浦天主堂の入館料は大人300円、中高生250円、小学生200円だそうだ。
大浦天主堂の正式名称は日本二十六聖殉教者天主堂で1597年日本で最初に殉教した日本26聖人たちに捧げられた教会だそうだ。そのため、大浦天主堂は殉教の地である西坂に向けて建てられている。
1865年におきた信徒発見も有名な史実だ。
大浦天主堂が1864年に建てられ、翌1865年2月から公開が始まった一ヶ月後に浦上の隠れキリシタン達が信仰告白したというもので隠れキリシタンの信仰の凄まじさが解る話だ。
因みに3月17日はカトリック教会の任意の祝日となっているらしい。
この辺りは右を向いても左を向いてもカステラである。
因みにカステラ一番電話は2番の文明堂の元である株式会社文明堂総本店では亀山社中がカステラ作りに興味を示し、そのレシピを残したカステラを再現して海援隊カステラとして販売している。
NHK大河ドラマ龍馬伝でもそのカステラ作りは放映された。
そのレシピがコレ。
そしてこの辺りには何とこんなものまである(笑)
さて、大浦天主堂から更に下って今度は観光通りというか長崎龍馬の道をのんびりと歩いて戻る事にする。
この長崎龍馬の道は大浦天主堂下の南山手町から亀山社中や上野彦馬邸跡がある新大工町辺りまでの道で距離は意外と短く全区間で3km程だ。
そのうちの半分に満たないというか3分の1程の距離を歩いて電停出島を目指す。
途中には旧長崎英国領事館がある。
上海の英国技師 ウィリアム・コーワンの設計で明治41年完成だそうだ。
旧長崎英国領事館を過ぎると有名なオランダ坂である。
そしてこの辺りから長崎駅方面へと向きを変えて、国道499号沿いに出るとなんとここに運上所跡があるではないか!
英国水兵殺害事件(イカルス号事件)の舞台となった場所だ。
慶応3年7月6日にイカルス号の乗組員のジョン・ホッチングとロバート・フォードの2人が、泥酔して丸山の路上に寝込んでいるところを、筑前藩士金子才吉に殺害された事件だが、嫌疑は土佐藩というか海援隊に懸かり、土佐商会の岩崎弥太郎と海援隊隊長の坂本龍馬が互いに奔走した事件でこの運上所にて龍馬さんは才谷梅太郎の変名で裁判に立ち会っている。
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奇しくもグラバーさんやその息子倉場富三郎の眠る坂本国際墓地の更に山側に位置していて、夜景スポットとして有名な稲佐山の対岸の山にある。
なのでちょっと奮発して夜景の見える側のスリーペアルームを二部屋取った。
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基本的に内容は同じだが、バイキングなのでね。
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