長崎龍馬伝紀行2

築町電停を通り越して西に下ると出島である。
最寄りの電停はそのものずばりの出島なのだが、新地中華街~唐人屋敷跡を観光したので築町電停を通り越して出島史料館へ。

もっとも入り口は出島電停側にも築町電停側にもあるのでたいした差はない。
ここは、大人500円、高校生200円、小中学生100円である。

因みに当たり前の事であるが、我々が歴史の教科書で見た事のあるあの出島の姿は今はない。
明治の昔(明治37年1904年)に埋め立てでその姿を消したのである。
今はその埋め立てられた周辺を含んで発掘がすすめられていて、平成12年から出島はその往時の面影を少しずつ取り戻しているのである。

この出島史料館には、石造りの倉庫が復元されている。
そこは旧石倉と呼ばれ考古館として公開されているが、この石倉は元々は蘭商(オランダ商人)ハットマンの倉庫で坂本龍馬率いる海援隊がハットマンからミニエー銃を買い付けた記録があり、恐らくそのミニエー銃は一次この石倉に保管されていたと思われるのだ。

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旧石倉


ミニ出島。
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ミニ出島

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出島概要


この出島史料館も1月10日までの限定企画で”龍馬と海と出島”という企画展が開催されていた。

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龍馬と海と出島


元亀元年(1570年)に長崎開港から始まり、秀吉・家康の時代を経て、寛永11年(1634年)に出島の築造が始まり、寛永14年に島原の乱があり、文政11年(1828年)シーボルト事件と幕末を迎えた出島。

長い出島の歴史の中の幕末の僅かな一時期に坂本龍馬と亀山社中・海援隊・土佐商会がこの出島と関わった。
この長崎は司馬遼太郎の”竜馬がいく”で「長崎は竜馬の希望であった。」と言わしめた土地である。

オイラが前に来たのは中学校の修学旅行であったから、当時ここは出島跡というだけで何もないエリア。
当時の修学旅行ではこの出島とか新地中華街~唐人屋敷跡は全く無視されたエリアで、確かグラバー園と平和記念公園が長崎の全てであった。

興奮気味にこの復元された出島を散策する。

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旧出島神学校

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旧出島神学校

この旧出島神学校は明治11年(1878年)に建てられた我が国最古のプロテスタントの神学校である。
もちろん、時期的に龍馬さんはこれを知らない。

以下殆どの建物が龍馬さんの時代にはないものではあるが、異国情緒溢れるこの雰囲気は当時龍馬さんが長崎という最新の地で感じたであろう雰囲気ではなかっただろうかと思いながらしげしげと眺めて回った。

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カピタン部屋

オランダ商館長をカピタンと云ったらしい。出島で一番大きな建物である。

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乙名部屋

乙名とは出島において日本側の貿易事務や管理をしてた官僚だ。

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そして青銅製の12ポンド大砲も展示してあった。
これではとても黒船で来た西洋列強には対抗のしようがなかっただろうなと思えた。

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青銅製の12ポンド大砲

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青銅製の12ポンド大砲


当時のオランダ人やシナ人に料理を提供していた料理部屋。
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当時は1日2回であったらしい。ここで西洋料理を覚えた日本人が後に我が国最初の西洋料理を作りひろめていったのだ。

龍馬さんも西洋料理というヤツを口にしたんだろうか?
想いは拡がる・・・。

意外にもたっぷりと時間を掛けて出島史料館を見学して、土産物店を冷やかして一路グラバー園を目指す。
出島史料館からは東側の出口から築町電停へ向かい、ここから系統5番”石橋”方面へ向かう路面電車に乗り込み、グラバー園を目指す。

スカイロード経由で楽々でグラバー園に辿り着くには電停石橋だが、往時の修学旅行気分で土産物屋を冷やかしながら向かうには大浦天主堂下電停で下車するのが最適である。
電停から徒歩数分で、チャンポン発祥の店”四海楼”だ。

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四海楼


因みに2011年はトーマス・グラバー没後100年だそうだ。
トーマス・グラバーと龍馬さんの接点は文書などでは不明確である。
交流があったのは確実だが、お互いに禁輸の品をやりとりした事やその他の政治的な配慮からかあの筆まめな龍馬さんの史料からもグラバーさんの資料からも全くお互いの交流は解らない。

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グラバー園への坂道


国宝である大浦天主堂からグラバー園に向かう緩やかな坂道は多くの土産物屋やカステラ屋が軒を連ねる。
カステラの試食などをしながら目指すはグラバー園。

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祈りの丘絵本美術館

祈りの丘絵本美術館とかカステラ屋さんとかを冷やしながら丘を登るとそこには国宝である大浦天主堂が。

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大浦天主堂


国宝大浦天主堂は有料での見学。
しかし時間は既に夕刻でここをゆっくりと見学する時間はない。
後ろ髪を引かれながらも目指すはグラバー園。

長崎龍馬パスポートでグラバー園入りを果たす。
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グラバー園入口

グラバー園入り口近くでは何故か学生服に身を包んだ大仏がオイラ達を監視していた(笑)
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大仏

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グラバー園入口


このグラバー園は年中無休で朝8:00~18:00まで開いていて、大人600円、高校生300円、小中学生180円だ。
スコットランド出身のトーマス・ブレーク・グラバーが1859年に長崎開港と同時に来日してグラバー商会を設立してこの国の幕末から明治を多大な影響を与え、息子は倉場富三郎と日本に帰化したのである。

三菱商会の顧問も務め、あのキリンビールの創始者でもある。

ここにはロバート・ネール・ウォーカーというキリンビールの前身であるジャパン・ブルワリ・カンパニーをグラバーと一緒に作った人物や、グラバー商会から独立したフレデリック・リンガーや龍馬さんの後ろ盾というか、幕末に長崎集まった志士達の後ろ盾となった女傑である大浦慶さんのお茶貿易のパートナーであるウィリアム・オルトなどの旧邸が広大な敷地に点在しているのだ。

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幕末から明治のあの激動の時代にこの国に未来を求めてやってきた野心溢れる外国人達の夢の跡である。

このグラバー園の象徴でもある、旧三菱第二ドックとそこから一望する長崎の港。
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旧三菱第二ドック

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長崎の港


異国情緒溢れる館内。
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こんな光景も・・・。
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そしてついにあの謎が・・・・。

そう我が長女の行動である(笑)

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そう、こうやってキューピー人形で旅行記を綴ろうと必死に人形を持ち込んで写真を撮っていたのである。
あまりにおもしろくオイラものってしまったんだが(笑)

このグラバー園で気になるのは坂本龍馬さんもそのメンバーであったと噂されるフリーメンソン疑惑。
確かにグラバー園にはフリーメンソンのマークが残る柱がある。

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えーっとグラバー園のくだりの話はまだまだあるし、宿泊したホテルの話もあるのだがどうやら紙面が(笑)

このままでいけば、長崎龍馬伝紀行は6回以上になりそうなんだが・・・。


まっ続く。


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この記事へのコメント

I木@solo
2011年01月18日 18:14
そうだったんですか、長女さんの謎の行動は。
ホントーに可愛いですね(笑)
ご当地キューピーもあるようですが、
長崎では手に入れたのでしょうか?

龍馬さんとグラバーさんとの関係について、
グラバー邸の隠し部屋に龍馬さんが
匿われていたのではなかったですか?
史実ではなくドラマだったですかね~。
Ryoma
2011年01月18日 19:13
>I木@soloさん
ご当地キューピー・・・。
龍馬キューピーなるものを買わされました・・・。
オイラ的にはもの凄く納得がいってないのですが。

龍馬さんとグラバーの関係についてはほぼ不明なんですよねぇ~
交流があったのは間違いないんでしょうけど。
隠し部屋にいたとか、グラバーさんの仲介で上海に渡ったとかフリーメンソンの手先だとか色々諸説あるんですけど、文献としてはなくて、噂とか推察の類なんですよ。

可能性としては非公開とされている岩崎弥太郎日記に何かしかあるのではないかと言われいます。

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